子どものころ、何も考えずに「蔵王に吾妻 飯豊山...」と歌っていたのを大人になった今でもときどき思い出す。小学校の校歌だったのだ。蔵王の記憶はそれぐらいしかなかったけれど、「うた」は自分の中に残っている。私は、山形県の高畠町というところで生まれ育った。高校を卒業してからはずっと東京に住んでいる。この文章も東京で書いている。こっちにいると、自分の足音を意識することはほとんどないのに、蔵王ではいつも傍らにある。夏の蔵王を歩くということ。乱れる息と喉の渇き、流れていった汗。蔵王にもっと近づいてみたい。(ざおうラジオ 市民講座講師)